私がセミナー講師になれたのは、5S指導の大家、正木英昭先生のお力によるところが大です。先生のセミナー受講者だった私は、受講後社内改革の進捗状況を定期的に報告し、前職退職後にセミナー会社に私を推薦していただいたおかげで今日の私があります。
私のメルマガの影響で最近神社巡りが趣味となったという正木先生と、11月に千葉県の香取神宮を参拝に行きました。ここは私のお気に入りの神社の一つで、とてもいい雰囲気を醸し出しています。朝8時前に到着したところ、本殿で全神職および職員が朝の勤行(ごんぎょう)をしているところを見ることができました。工場でいうと全体朝礼といったところです。
(詳細は https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%8F%96%E7%A5%9E%E5%AE%AE)
香取神宮の組織マネジメント事例を見た後に参拝し、本殿隣の宝物館を見学、門前の店で名物の団子を食べ、車で旧佐原市街に向かいました。ここは私が大好きな街で、中心に小野川という川が流れています。先生と川下りのボートに乗ったところ、船頭のおばあさん(御年80歳)がベニスやバンコク(チャオプラヤー川)、パリ(セーヌ川)、ロンドン(テムズ川)と世界中で遊覧ボートに乗った経験をお持ちの大御所であることが分かり、国際派の先生と話が大いに盛り上がりました。(詳細は下記URLより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%8E%9F%E3%81%AE%E7%94%BA%E4%B8%A6%E3%81%BF
昭和30年代には早くも衰退し始めたという街で、その危機感からいち早く観光事業に注力した甲斐もあり、昭和レトロ感が溢れています。商店街がまだ生きているところが見どころの一つです。観光客は団塊の世代とタイ人の若者が主です。なぜタイ人に人気があるかと言うと、数年前に人気だったテレビドラマのロケ地だったこと、また成田空港が至近であることが理由です。また関東3大まつりの一つ『佐原の大祭』が開催される地でもあります。
ところで皆さんは『伊能忠敬』という人物をご存知でしょうか? 198年前に、初めて日本地図を測量によって作成した人です。佐原は伊能忠敬の生誕の地であり、生家も保存され、市民からは「ちゅうけいさん」と慕われています。佐原の郷土の誇りである伊能忠敬は、記念館が立てられその偉業を偲ぶことができます。以下、その生涯をダイジェストで紹介します。
1745年、生まれる。
1762年、伊能家に婿入りし家長となる。
1795年、隠居後、江戸にて暦学を学ぶ。
1800年、全国測量開始(以後、計10回実施)。
1818年、死去
1821年、日本全図完成
(詳細) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC
私の家(茨城県石岡市)から札幌・名古屋まで3時間ジャストで到着する今日からはとても想像できないくらい、江戸時代の旅は困難でした。現在に比べて治安も悪く、旅人は山賊や追剥、辻斬り等の危険にさらされます。また道中のけがや病気に対しても、今日のような救急医療体制など存在しません。移動手段は徒歩のため宿屋の泊数がかさみ、莫大な旅費が必要です。
そのため忠敬はまず本業に打ち込み、測量資金を蓄えました。新規事業である金貸しも始めます。この辺りは少年時代にホメロスの詩で知ったトロイア(トロイ)を発掘するため事業で資産を築き、後年宿願の遺跡発掘を実施、19世紀の考古学上最大の発見と言われたトロイ発掘に成功したシュリーマンとよく似ています。
このように伊能忠敬がその生涯をかけて作成した日本地図が、その後ある事件を起こします。1828年、オランダ大使館に勤務していたドイツ人医師シーボルトがこの地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚し、シーボルトは幕府により国外追放処分となります(地図を渡した日本人は死刑)。帝国主義の猛威が全世界を席巻していた当時、お隣の清(中国)の植民地化が進行しており、幕府は本件に非常な危機感をもって臨んだのです。
なぜそれほどまでに幕府が神経を尖らせていたのかピンと来ない方は、ぜひ伊能忠敬祈念館を訪ね、彼が作成した地図と現在の地図を重ねて表示している展示を見てください。東北・北海道・九州が若干ずれていますが、全国を巡行・測量した甲斐あって、日本列島の形および距離はほぼ完ぺきな出来栄えです。こんなものが欧米諸国の手に渡ったら、日本を植民地化しようとする側には大変なアドバンテージです。現状を定量的に把握したデータとは、それくらい価値のあるものなのです。
現在ではスマホやカーナビの普及によって、いつでも地図が入手できる時代です。我々現代人は、もはや地図のありがたさを忘れてしまっています。しかし、そんな日本で21世紀になったというのに、未だに地図の整備されていないところがある、と言ったらあなたは信用しますか?
それは会社組織です。組織マネジメントシステムのない会社は、マネジメントを職務とする部課長にとって、地図のない国と言えます。誰がどの業務をいつ頃どのくらいの時間を費やして行い、その結果組織に何をもたらしているのかが定量的に把握できない組織をマネジメントすることは、子供がフリーハンドで書いた日本地図を片手に旅行するのと同じです。
こんな組織が未だ大半を占めていることが、日本が平成の30年間諸外国との経済戦争に負け続け、戦後焼け跡から這い上がった先人が我々に残してくれた国富を海外に流失させた原因の一つです。この状況を変えるには、誰かが会社組織を測量し、正確な地図を作成しなければなりません。
さあ、立ち上がるのは今です!! あなたも御社の『伊能忠敬』になってみませんか?