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メルマガ第123号

あなたはいつまで「商店街」で買い物を続けるおつもりですか?

 10年前に亡くなった母は、商店主の次女として1937年(昭和12年)に東京都武蔵野市に生まれました。JR中央線の武蔵境駅が最寄りの駅です。以前は知る人ぞ知る駅だった同駅も、秋篠宮家の長女・次女が進学したICU(国際キリスト教大学)への接続駅であり、ご当地ラーメン『油そば』発祥の地として15年ほど前からその知名度が全国区となりました。

 同駅から徒歩15分、『天文台通り』の両側に商店街(緑盛会…初代会長は私の祖父)があります。母の実家は食料品店(お惣菜・乾物・お茶)で、最盛期は5人の従業員がいました。この商店街にはかつて、八百屋・肉屋・魚屋・米屋・豆腐店・焼鳥屋・中華料理店・寿司屋・喫茶店の他、自転車屋・床屋・本屋・銭湯もありました。

 昭和50年代のAT車普及により女性ドライバーが急増するまでは、自宅から徒歩圏内の商店街こそ各家庭にとって「ライフライン(生命線)」でした。そんな商店街に昭和40年代から強力な競合相手が現れます。ありとあらゆる食料品が揃う『スーパーマーケット』という「黒船」です。

 前述の商店街にも、昭和42年にその「黒船」が来航しました。8階建てマンションの1Fに入った『シズオカヤ』です。今日では1Fにコンビニの入ったマンションなど都市部では珍しくも何ともありませんが、当時画期的な形態だったこのビルは新聞・週刊誌・TVで報道されました。黒船来航におののいた地元商店主たちは、極力お互いの店で買い物をして対抗しましたが、時代の流れには勝てませんでした。顧客・売り上げともに減少の一途をたどり、シズオカヤ(現グルメシティ)開店以来半世紀を過ぎた今日、母の実家を含む多数の店が消滅しました。その昔、各家庭のライフラインであったはずの『商店街』はなぜ今日、ほぼ壊滅状態となってしまったのでしょうか?

 私の住む石岡市の商店街を歩くと、八百屋・肉屋・魚屋・酒屋・米屋の他に味噌屋・乾物屋があり、鰹節屋・氷屋、砂糖屋まであります。いわゆる「単品商売」の店舗です。このことから『スーパーマーケット』出現前は、主婦が必要なものを買いそろえるには、商店街の端から端まで買い物かご片手に歩かなければならなかったことが分かります。

 しかも行く先々で「いや~、毎日暑くて参ったね~」とか「おやっ? 奥さん、髪型変えた?」 「今晩何を作るの?へぇ~、すき焼き!! そりゃ豪勢だ!! なんかお目出たいことでもあった?」 等の世間話があり、「ちょっと、このイワシ活きが悪いんじゃないの?少しは負けなさいよ!!」と値切り交渉もしなければなりません。実に効率の悪い買い物です。

 ガスコンロ・自動炊飯器・冷蔵庫・洗濯機等が普及するまで、主婦は毎朝5時起床でした。かまどの火を起こして飯を炊き、朝ごはんとお弁当を作ります。家族を送り出してからは洗濯板で全員の服を手洗いです。その後は家の掃除、庭の草取り、買物と続き、休む間もありません。冷蔵庫がないので、日々買い物に行く必要があります。こんな生活が一生続くのです。正月三が日におせち料理(保存食)を食べる習慣が生まれたのも、「せめて年に三日間くらい、私たちを家事労働から解放してください!!」という主婦の「魂の叫び」を察知した、家長(夫)の配慮(危険予知?)だったに違いありません。

 そんな主婦にとって①そこに行けば必要な食料品がすべてそろう ②誰が買っても同じ値段 ③店員との面倒な人間関係はなく、すぐ買える『スーパーマーケット』「こんな店があったらなぁ…」との積年の想いを具現化したものでした。その証拠に、スーパーは瞬く間に全国に広がりました。その反面、時代に取り残された商店街は主婦たちに見捨てられ、すたれていきました。
 
 今でこそ全国津々浦々に当たり前のように存在しているスーパーは、60年前このようにして誕生しました。今では商店街を訪れる人は「昭和の残像」を懐かしむ人だけとなり、『商店街』は絶滅危惧種となりました。世界遺産に登録されることもないでしょう。

 そんな『商店街』が皆さんの会社にいまだに存在している、と言ったらあなたは信じますか? それは『事務所』です。「お~い、〇〇君!!」と呼べば返事の返ってくる小さな事務所ならさておき、事務本館を構えるような大会社で、業務遂行に必要なデータを揃えるのは一苦労です。そのデータをどの部署の誰が持っているのか? そもそもそのデータ自体が社内に存在するのか? のレベルからデータを収集するのは結構な手間です。中には、自部署内ですら誰がどのデータを管理しているのか分からない、という恐ろしい会社も世の中には存在します(何度か現認しました)。

 現場は生産性・品質ともに世界のトップクラスを誇る日本企業ですが、間接業務(事務所)の生産性は先進国中ダントツ最下位、OECD諸国の中でも下位である理由がここにあります。競合する外資系企業が『組織マネジメントシステム(OMS)』という名のスーパーで、必要なデータいつでも誰でもサクッと入手できるのに、日本企業ではあるのかないのか分からないデータを探し求めて共有ドライブ内を検索したり、関係部署にメールで問い合わせている始末です。その姿は、買い物かご片手に商店街を歩き回る半世紀前の主婦と一体どこが違うのでしょうか? これではOMSを有する外資系企業に勝てるはずありません。

 あなたはいつまで「商店街」で買い物を続けるおつもりですか?

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